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從根動(根から動く) ~その3~

“暖簾に腕押し”の言葉のとおり、
相手が暖簾のようであれば力が伝わらない。
したがって、相手をコントロールすることも難しい。

・・・・・・・・

カエルの脚に電流を流す実験などでも知られる通り、
筋肉は刺激信号を受け取ると収縮する。

同じように、不意に誰かに摑まれたり、
あるいは、急に体のどこかに拘束を受けるような
危険な状況においては、
摑まれるという刺激を受けた
部分の筋肉が緊張する(こわばる)。

・・・・・・・・

お気づきだろうか。
こうしてこわばった体、
あるいは体の部位は“暖簾”ではなくなっている。
従って、相手が体力で自分より優る場合、
相手から動きをコントロールされやすいよう、
自分から取っ掛かりとなる場所を
提供していることになる。

じゃあ、脱力すればいいのか?
というとそれだけでは足りない。
脱力すれば、一瞬相手はひるむだろうが、
自分が脱力したままでは、当然のことながら、
自分の動作のコントロールも維持できない。

正解の1つは、
敵に接触されていない部分を動かすことである。

刺激に収縮する筋反応は習慣化されたものなので、
触れられた部分の筋を緩め、
それ以外のことろを積極的に動かすには、
練習が必要だが、逆に言えば、
練習すれば誰でも出来るようになる。

これは、また“根から動く”ということと
ニアイコールでもある。

“根から動く”ということは、
以前に書いたように出力を大きくしたり、
技の効きを良くするという以外にも、
こうして、防御から逆に相手を制する時にも
大いに有効となる。

昨日、福岡の天神で開かれた
護身用法の体験会ではこの辺に重点をおいて
講習を行った。

参加者の方々がこの目からうろこの理論を
実際に体験され、大いに楽しんで帰られた。
こうして体の不思議や、
体の優れた能力をより多くの人が理解されるのは、
私にとってもとても嬉しいことだ。

【参照】
「從根動(根から動く) ~その1~」
http://dahejin.blog68.fc2.com/blog-entry-50.html
「從根動(根から動く) ~その2~」
http://dahejin.blog68.fc2.com/blog-entry-52.html

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
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創造と学びの違い

~稽古と学習の違い~

大きいです。
当たり前ですが…

・・・・・・・・

1:99
創造する人と、学習して真似る人の割合、
そんなくらいかもしれません

今の生活が大変便利なのは、
学び≒真似る人がほとんどだからです。
だから、学ぶ質は高い方がいい

創造は、強い熱意や気持ちが形となったもので、
学びは、既成の形から形を真似るもの
これが違いの本質でしょう

・・・・・・・・

学びの質を高める方法は
創造者の気持ちに思いを馳せ、
自分が、自分の生きる時代にひめた熱意と気持ちを持つこと

・・・・・・・・

私は今、武術関連の中国語の書を翻訳していますが、
練功、練武、練拳、功夫、腿功などの言葉が頻出し、
どう訳すべきか頭を悩ませます
 学習、訓練、鍛錬…?
そういう時、稽古という言葉は優れています。

【稽古】
原義は「古(いにしえ)を考える」
「昔のことを調べ、今なすべきことは何かを正しく知る」である。
そこから、「古い書物などを読んで学ぶ」といった意味が派生し、
学問する意味で用いられるようになった。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/


教育
予防医療
持続可能社会

草を刈るように殺す

八卦掌の生徒さんに套路を教え始めている。
その動作の実用の解説をしていると、
見た目には舞踏のような優雅な所作とは裏腹に、
情け容赦ない極め技の連続である。

指導している自分でも、
改めて”ここまでやるか”と思うほどだ。

一、 面帶微笑
二、 殺人如割草

いずれも八卦掌の師から学んだ言葉
誤解のないようにしておきたいが、
二つの言葉は別々に教わったものである。

ただ自分の中では共通性のある言葉として
印象に残っている。

・・・・・・・・

一、 面帶微笑

八卦掌の稽古中に、口元にはわずかに微笑みを浮かべる。
気持ちが無いのに表情を作るというといかがわしい感じがするが、
心理学の実験では、先に表情という形を作ることが、
気持ちに影響を与えることが既に広く知られている。

こうした表情を保つことで、
雑念を取り払いつつ、積極的に
精神を落ち着かせる効果が得られることを知っていて、
古くから稽古に取り入れていたのだろう。
中国武術がいかに研究の進んだ科学であったかを
物語っていると考える。

話が少しがそれるようではあるが、
武術を通じて得られる体技を
単純に暴力と一緒に括るのは誤りだ。
なんとなくそうは分かっていても、
どうして違うのかきちんと説明される場合は少ないかもしれない。

心が意を導き、
意が気を導き、
気が力を導く

これが目指すところの正しい力の使い方である。
(心、意、気を合わせるという内三合)

暴力から連想される、あるいは、
私怨から生じるであろう怒りの感情は、
技の習得の妨げになったり、
身体を害すると学ぶ

言葉でそうと学ぶだけでなく、
実際に長く稽古を積んでいると、
身体でその理由が分かってくる


・・・・・・・・

二、 殺人如割草

感情を一糸乱さず相手を葬る様子を表している
上述の内容から、私はこれをただの
残忍な表現とは認識していない。

残忍なのとは別の、
武術を学ぶものにとって1つの
目指すべき境地であると思う。

一方、この言葉に対して次のような説明もあるので
一応付記しておく。

”殺人如割草”とは、”打人如抜草”の誇張で、
”打人如抜草”は精神状態を示したものではなく、
草を抜く姿勢を例えに、
手が届く時には足が届いているという、
具体的な力の使い方を示した言葉だというものだ。

それはそれで間違いないと思う。
【引用】
“梢節打人如拔草(打撃に梢節を用いるならば、草を抜くが如く),
中節打人如親嘴(打撃に中節を用いるならば、キスをするが如く),
根節打人如走路(打撃に根節を用いるならば、歩くが如く)”

※これら梢節、中節、根節を正しく合わせて動作に用いることを
外三合という。上の内三合と合わせて六合と称する。
福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/

從根動(根から動く) ~その2~

八卦掌の信老師から
上肢(腕)と下肢(脚部)の三節(※)に
ついての説明を受けたあとで、
「じゃあ、身体全体で考えたら根節はどこだ?」
と問われた。

※三節
中国武術では、末端から根に向けて、
梢節→中節→根節と三つの部位に分けて説明する

答えは、足。
地面と接している足である。
梢節は、その時の動作により腕になったり、
(地面と接していない方の)足になったりする。
相手と接して力を伝える部分のことなので、
梢節は手でも足でもなく、頭かもしれない。
状況に応じ変化する。

色々な動作のコツを意識するうえで、
とても役に立つ。

・・・・・・・・

一方で、“根から動く”ということを考えると、
地面と接する足が根節であるというのは、
理論的に破綻しているように感じる。
アトムのように足の裏からジェット噴射が
出るわけではないからだ(笑)

しかし、武術の指導というのは、
目指す状態のために、
現状の動作に別の角度から意識で改めて照らすことで、
改善の糸口を求め続ける作業だから、
生徒の気づきに導ければよいので、
理論のほころびを探して口論するのが目的ではない。

・・・・・・・・

一方、戴氏心意拳では、
全身のいかなる動きも丹田から起こるように
ひたすら訓練する。

“從丹田起動”だ。
丹田の位置は、上半身を一塊と考えれば、
確かに根となりそうだ。
下半身を一塊と考えても、
やはり根となる。
つまり、上・下半身をつなぐ根とも捉えられる。

それでは、戴氏心意拳における足
(地面と接する部分の足)をどう理解しているのか?
答えは、砲台である。

どんなに大きな爆発力も、
それを支える頑丈な砲台という基礎がなければ、
発射されない。極めて重要な部位なのだ。

そこまで理解すると、
逆にまた、足が身体全体の根であるという概念が
活きてくるようになる。

【参照】「從根動(根から動く) ~その1~」
http://dahejin.blog68.fc2.com/blog-entry-50.html


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