スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

部分と全体

部分と全体


先日の稽古でのこと
生徒さんに鏡に向かって肩幅の平行立ちで立ってもらった。その両足を動かさずに一気に全体重を右か左の片足だけに預けるようにしてみてください、と指示した。当然、鏡に映る自分はピクリとも動かないのであるが、全身の筋肉がひとつの目的のために瞬時に協調して動いたという事実を体感することができる。

私の教える中国武術の大切な技術というのはこういうものだ。立っているだけ、歩いているだけ、のようにしか見えないが、全身の協調力を鍛えていく。だから目標とする動作の未体験の感覚を豊かにイメージすることが、上達の上でとても大切になる。料理でいえば、これまでに味わった食材とその組合せから得た経験と感覚を元に、食べたことのない料理を楽しんだり作ったりするのに似ていると思う。

別に特段神秘的なことをしているわけではなく、身近なことをいつもとは違う角度から意識してみるだけである。

・・・・・・・・

科学的思想の根幹が「分かる」という一言に表されている通り、その特性は混沌を白か黒に「divide 分ける」ことにある。しかし、生きていると白か黒にはっきり区別できないグレーなことが多くある。まただからこそ、キチッと分けることで色々なことの効率は非常に良くなる。

ザックリ言えば、西洋思考はプラスかマイナスか? 善か悪か?についてもはっきりと分けたい傾向にある。

中国ではこれとは対照的に、分けることよりも全体の調和を先に重視する思想がスタンダードだった。単純に善か悪かではなく、全体を構成する要素を陰と陽と表現した。

・・・・・・・・

例えば中国では、風邪を引くと「よかったね」と言われることがある。人の身体は陰と陽のバランスがとれている状態が健康とされる。陰にマイナスイメージはない。陰が不足しても病気になると考えるからだ。風邪を引くのはそのバランスが崩れたからであり、また同時に崩れたバランスを平衡に戻そうとする働きの表れが風邪である。だから、時々風邪を引くくらいだと逆に大病をしないという考えがある。

一方、古典的な西洋医学では、風邪をひき熱が出れば解熱剤を処方し、頭痛がすれば鎮痛剤を飲ませる。患部は切除する。対処療法である。それが如何に優れた方法であるかについてはここでは振り返らない。それは部分的な症状を抑え込むのであり、風邪や癌の根幹を治癒するわけではない。

こうしたやり方は10点満点を健康状態と仮定し、そこから減点方式で悪い症状をカウントするとでも言えるだろうか。足りない部分ごとに補う、減点部分を消去するよう対処する。

中国医学は、同じ10点でも、-5と+5の合計と考え、0が健康状態と考える。そこには単純にマイナス数値が悪い、あるいは逆にプラス数値が悪いといった固定的な定義はない。

・・・・・・・・

人は、器用に指を使うとか、手で道具を使うというように、身体の一部分を全体から切り離して使うことで脳が急激に発達した。だから、そうした動作を意識してコントロールすることは得意だ。けれども、逆に身体全体が調和した動作を生み出すために部分をわずかずつ調整して動かすことに慣れていない。

動物はいつでも無駄に力まず、柔らかく、優雅に、当たり前にこうした動作を行う。美しい。

実は人は誰でも日常的に同じ種類の動作を行っている。ただ意識の外に置いてきている、だから覚えていないだけだ。それは動物と同じで意識して作り上げた動作ではないからだ。

・・・・・・・・

脳卒中に見舞われたアメリカ人脳科学者が体験をつづった書「奇跡の脳」が日本でも反響を呼んだ。Ms.テイラーは脳卒中により左脳の大部分が働かない症状を体験した。左脳は世界を分断することで認識する。言語機能、理性、時間感覚を司るといわれる。右脳は全体を形状として認識する。芸術脳と言われる。Ms.テイラーは自分と外界を分かつ境界線(つまり空気に触れる皮膚面)が分からなくなり、自分の命/エネルギーと自分を取り囲む自然に流れるエネルギーを分かつことのない状態を感じた。つまり自分という囲いがなくなるのを感じた。

そろばんの達人。暗算の天才の脳波を調べると、あろうことか右脳が強く反応する。通常、数字は左脳で認識するものだ。右脳と左脳の働きが通常と異なる働きをするのは、偶然病気になった人だけのことではない。

・・・・・・・・

八卦掌の稽古といっても、ただ立ったり、歩いたりしているわけではない。美しい動作の連続である套路を学びながら実戦での攻防の感覚を養う。形を学ばなければ套路にはならないが、その技が効くか効かないかは、形に見えない動作を如何にして身につけたかにかかってくる。その形には表れにくい動作を複雑な套路の動きに染み込ませていく。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/
スポンサーサイト

外部温度と内部温度

snow.jpg

今年は12月に入っても、冷水シャワーを続けている。

・・・・・・・・

北京では、元気なご老人たちが、
池の分厚い氷を割って真冬に泳いでいた。
あれは色々な意味で未だに意味が理解できない。

北欧では、サウナの合間に雪の上に寝転んだり、
やはり湖の氷を割って氷水に浸かったりする。

想像にすぎないが、ひょっとすると身体の表面を覆う血管の血流が、
身体の内側の血液と余り対流しないように調整する機能が
備わっているのかもしれない。
心臓は一つで、全ての血液はそこを通過して循環しているのだから、
全身の体温は基本的に均一であるとずっと考えていたが、
そうではないらしい。人の体はもっと複雑で、優秀に出来ている。

以前に書いたブログ「冷たい手」でも身体の不思議について書いている。

私の母は熱がりで汗かきだ。だから真夏は当然薄着を好む。
ところが、中国医学の先生に診てもらったら、
身体が冷えているので暑くとも長袖を着るようにいわれた。
北京は完全な大陸性気候で冬も寒いが、夏は長くて暑い。
35度を優に超えるような日が続く。
母はわけがわからず「いえいえ、暑くて暑くてたくさん汗をかくのです。
身体が冷えているわけがありません。」と食い下がったが、
身体の内側が冷えて体調が崩れていると指摘された。

北海にもたえず暖流が流れ込むように、あるいは逆に、
寒流が赤道直下にも流れるように、
同じ地球上でも海には地上とは異なる熱の対流が存在する。
そのたとえは大げさに過ぎるかもしれないが、
いずれにせよ人は体が冷えていても汗をかくのだ。

身体の外側が熱く、体内が冷えている。
夏バテの原因は暑すぎることにあると勘違いするから、
さらにクーラーをかけたり、冷たいものを飲食する。
余計に身体の内部が冷えるという悪循環に陥る。

・・・・・・・・

北京での八卦掌の稽古はいつも屋外だった。
冬の気温は零下となる。
当然それなりに防寒対策をして身体を動かすが、
逆に汗が結構出ることもある。

稽古も半ばにさしかかり、身体は完全に暖まり、
かなり汗も出てきたため上着を脱ごうとすると、
信先生に止められた。

"冷風が矢のように身体を貫く。
今、上着を脱げはたちまち体調をこじらせるから、
多少熱くとも着たままでいなさい。"

身体を動かし、血行もいい状態で、
防寒着の下で全身の汗孔も開ききっている。
だから身体に一気に寒さが入り込んでしまうという意味だ。

服を脱ぐのであれば、身体の暖まり具合に応じ
もう少しまめに調整しなさい、
それならば身体の調整もおいつくという説明が続く。

熱くなるまで我慢して、急に身体を冷やしてはいけない。
先生の話はいつも理論整然としていた。

・・・・・・・・

寒い季節を迎えての冷水シャワーは、
実は今年3年目でようやく成功した。
福岡でも朝は外気が0度まで下がっているので水はかなり冷たい。

成功してみて気付いた感覚がある。
どうやら身体が締まり、後から身体が温かくなる。
冷水を浴びると一気に汗孔が締まるようだ。
そうすると身体の内部の熱がそれ以上逃げにくくなる。
それで、風呂のあがりぎわに行うと、
風呂を出てからも身体のほかほかがとても長く続くようだ。
身体は使いようによって本当に不思議な反応を示してくれる。
意外な湯冷め対策法である。

※小学校のプールの消毒槽のぞくっとする寒さで分かるとおり、
真水は夏でも結構冷たくて身体が驚きます。
冷水にチャレンジされたい方は、来年の夏から初めて
少しずつ身体を慣らしていくことをお薦めします。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/

形式と目的

何その格好…

練習風景

中国ではありきたりの武術の練習風景だ。
日本人的に「あれっ?」と感じるのは、
何でトレーニングウェア着てないの?という点だろう。
中国の武術の先生の多くは、
練習の時に普段着で参加しても何も思わないし、
特に失礼にはあたらない。
それに、写真のように先生自身が、
練習着でないことが多い。

・・・・・・・・

中国にいた時、仕事帰りに武術の先生に
少し挨拶にだけ立ち寄った時も、
“練習して行け”と声をかけられたものだった。

稽古をつけてもらうといっても、革靴にスーツ姿である。

それを言い訳に遠慮をすると、
“どんな格好でも、その時使えなかったら武術として役に立たない”
と返された。

さぁ、今闘うという状況に陥った時に、お前は、
“動きやすい靴と服に着替えるからちょっと待ってて”
とでも相手に言うのか?

・・・・・・・・

そういうわけで、私の知っている範囲においては、
中国武術の稽古のときに、日本の武道の稽古のように、
必ず裸足で道場に上がるとか、
必ず決まった道着を着るとか、
必ず稽古の前に入念に準備運動をするということはない。

実戦を想定すれば、外で靴を履いている確率が高いし、
まして、準備運動でウォームアップしている時間などないからだ。
一般的なスポーツと身体の使い方が違うということにも起因している。

無論、裸足や道着や準備運動の良さを否定しているわけではない。

・・・・・・・・

先週は、わざと道着を着用し、掴み、関節の決め、投げの複合を激しく行った。
生徒さんはボンボコ投げ回される。

道着を着るときわめて技が掛かりやすくなる。

日頃練っている套路の何気ない柔らかい動作が、
実は相当な力を秘めているという事実を体感するのには、うってつけだ。

道着の生地は厚く丈夫な上にたっぷりとゆとりがあり、
襟や袖もあるから、しっかりと掴んで瞬時に思いっきり力が加わっても
破けずにそのまま力が相手に働く。

逆に柔道や合気道で、道着を着ていないと技を掛けられない
というのでは、武術としての意味がないだろう。

普段着では、服は身体にフィットしている場合が多く、
摑むところは道着よりもかなり少ないし、
急に力を掛ければすぐに破けてしまうだろう。

始めのうちは柔道着を着てリングに上がっていた
グレイシー一家も、功成を極めるにつれ、
柔道着を着て戦うのはフェアではないという意見に合い、
ルールによっては、他の格闘家同様、
上半身裸にリングパンツ一枚に統一された。

道着が武器とみなされた例である。

八卦掌の場合、套路の中のひとつの動作が、
相手との距離により、関節技であったり、
逆に摑まれたところを解く動作になっていたり、
相手の意識を誘導するためのフェイントになったり、
そのまま相手を直接打撃する動きだったりと、
効果が多様で実によくできている。

前述のように、摑んでも、摑まれても
相当な力を相手に伝えることができるし、
接触していない距離でも、打撃の想定がされている。

八卦掌には直接にその練習はないが、
実戦であれば、これにon the groundが加わる。

・・・・・・・・

日頃靴を履いて稽古しているなら、たまに裸足で行うのも良い。
まるで感覚が異なるし、足の五指で“抓地”する感触をむしろ鍛えやすい。

形式よりも目的が先にある。

北京でも、時に練習場所を変え、根が張り、腐葉土で柔らかい木立の中で
八卦掌の走圏を練ることもあった。

雪の降る日には、雪の上で、
氷が張れば、氷の上で、
昔はそういう風に練習したもんだ、
と信老師は述懐されていた。

寒くなると余計、先生と過ごした
北京での冬の稽古が思い出される。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。