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八卦掌は何故止まらないのか?

走圏
八卦掌は何故止まらないのか?

渾元一氣走天涯,八卦真理是我家。
步步不離腳變化,站住即爲落地花。
これは八卦掌の重要な要訣を謳ったもので、以前のブログ(“落ちずに舞う花” )でもご紹介した。

武術において自分のバランスを保つことの重要性も前々回のブログなどで触れた。しかし、写真の通り八卦掌の基本功である走圏の時は身体があからさまに斜めになることもある。どの中国武術にも共通する要訣として立身中正という言葉があるが、その決まりを破っているように見える。

ある状況下においては、この“斜め”がバランスの答えになる。

自分の身体の重さに逆らわず歩くと、カーブの時には慣性により全身に遠心力が働く、つまり曲がろうとする方向とは逆に働く力が生じる。その自然に働く遠心力に身体がもっていかれないように、バランスをとると写真のように身体が斜めになる。つまり、身体が斜めなのは、バランスを崩してまで難しいことをしようとしているのではなく、無理なくバランスをとることを目的として斜めになっているのだ。

そしてこの旋回軌道は、副産物として円錐状に回転しながら、つまり渦状に力が凝縮される効果を生む。身体をまっすぐに立てて円軌道を進む時よりも、接触する相手に対し遥かに効果的に力が伝わる。それが、八卦掌の最も特徴的な強さの一つである。※あぁ、今日の練習の相違点説明動画撮っておけばよかった…

“斜め”でもバランスを崩さない方法として、“回転運動を続ける”という解を用いる。だから、八卦掌はゆっくりでも止まらないように稽古するのだ。理論上は独楽と同じで、止まれば倒れる。通常同居できない二つの相反する要素(この場合、“斜め”と“倒れない”)を包含し、それを凌駕する次元(動きを止めない)に引き上げる。八卦掌以前の中国武術の基本功が立禅(静止禅)であったのに対し、八卦掌が基本功に走圏(動禅)を据えた理由である。もちろん、どちらが優れているということはなく、どちらも極めて重要である。

このように中国武術と言うのは、たくさんの矛盾を自分の身体で体感しながら融合昇華していく知的で面白い学問である。

また、上述した走圏の技術を身につけるためには、まず、まっすぐゆっくり歩いても自分の体重に働く慣性を敏感に感じ取れるように稽古する。そのためには、機関車の機構のように股関節以下の全ての関節が柔軟である必要がある。それが、細かく規定された走圏の要訣の目的である。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/
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呑天之気、接地之気

earting

ご縁というのは不思議なもので、福岡のとある集まりで、陳暁怡先生(陳泮嶺氏のお孫さんで、99式太極拳の三代目継承者)に再会した。その会は30名以上の参加者で、くじ引きで席を決めるのに偶然お隣の席、自然武術談義に花が咲く。

“呑天之気、接地之気” と陳先生から、その言葉を聞いた瞬間に、自分のなかでより気が静まり、ゆったりと心地良い安定感に包まれた。日頃からそれを目的に稽古しているから、言葉をきっかけに体感が呼び起こされるのだ。武術と養生の基本を結ぶのがこの感覚だろう。この感覚が養われなければ、武術の技も養生の技術も高みには達しない。この言葉は詩的に概括されているが、ありがたいことに、今ではそれが科学的であることがわかる。

先に、連想された記憶の点を散文的にバラバラと書きたい。最後には、それぞれの点が結ばれるはずである。

布靴、帽子、軍手:
北京では私の学んだ八卦掌の信老師から次のように学んだ。八卦掌の稽古は錬気そのものである。天の気は頭の百会穴から身体を通り足の裏の湧泉穴から地面に流れる。こうして天地とエネルギーが繋がる。
従って、その流れを遮る環境は理想的でないと。屋内での練習。帽子をかぶったままの練習。昔の靴は底も布でできた靴を履いて稽古した。なので現在主流の合成樹脂底の靴は地面への気の流れを断絶するため本来であれば好ましくない。真冬の稽古でどうしても手がかじかむ時は軍手ならO.K.。軍手は縫製が粗く気が容易に通過するからだという。
そう説明を受ける私は、"はぁ、そんなものですか。"くらいの神妙顔である。理屈は分かるが、当時科学では未だ解明されていないし、まだ身体ができておらず、体感できなかったからである。

風呂:
日本の伝統的な木造建築様式は、寒冷地を除き、夏の湿気がこもらないことを主目的に設計されている。つまり、冬寒い。世界一寒い家屋と言われるほど寒い。最近の研究では、全身の体温を高く維持すると免疫力が上がり病気になりにくいと言われている。日本では建物の寒さを補うように、頻繁に熱い風呂に浸かる習慣がある。これが非常に気持ち良い。風呂の他にも、日本人は寒い時ですら、頭から滝に打たれてみたり、禊や浄めのために水を浴びる習慣がある。

飛行機とシャワー
飛行機に乗ると、全身に静電気が帯電するそうで、その晩はシャワーを浴びるか、風呂に入ってから就寝した方が身体に良いそうである。水は電気を通すので、身体に留まった電気が流れるのだ。風呂には身体の汚れを落とす以外の爽快感がある。

Earthing
Earthingという健康維持方があるそうだ。熊本でシステマを教えている方から教えて頂いた。「Earthingとは?」 このHP中段のショートアニメは分かりやすいので閲覧オススメだ。裸足で土の上を歩く、週末に畑で土いじりをする、あるいは、大木の幹に手を合わせると元気になるという話を聞いたことはないだろうか。Earthingとは、身体を大地に直に触れさせることで、体内で有害な働きをする電気を放電することだそうだ。身体がとてもスッキリする。

Earthという英語を眼にすると、大地とか地球という意味が連想されやすいと思うが、カタカナでアースと書くと、電気製品が漏電などによる感電防止のために設計した人体保護用の接地電線を思い浮かべる方もあるだろう。そう、主にイギリス英語圏ではearthは動詞として"接地"させるという意味がある。
何と、タイトルの"呑天之気、接地之気"の"接地"と一致している。

ここまで来ると、"なるほど"と納得されるだろう。なんとなく頭が重い、全身が気だるい、よく眠れないなどの身体の不調の原因は、現代生活では、大量生産に向いた絶縁物質で囲まれているからかもしれない。機密性が高く保温性に優れた合成樹脂の靴、フローリング、ポリエステルの服、フリース、寝具…

逆に考えると、木造建築、茅葺き屋根、土壁、草履、下駄、綿、麻などの自然素材で、肌に近い配置の建材や衣類が使われていたのは身体にとても良かったのかもしれない。それは相当寒いだろうが、昔の人は労働量が違うので、発熱する筋肉量も根本的に異なったことだろう。

また、子供達は、密閉空間での塾とゲームに熱中するのではなく、虫捕り、花摘み、相撲など、山、川、海、自然の中で遊んでいた。当時の科学では理解されなかった大量の健康法を昔の人はどれだけ体得していたことか。

ところで、"呑天之気、接地之気(天を呑み込む気と大地と繋がる気)"というと、随分スケールの大きい神々しいエネルギーのようであるが、自分はそんな大げさなものではないと理解している。自分の感覚からすると、味覚で例えるなら、素材の旨味に気づいて感動する程度のエネルギーだ。適当な例えか分からないが、日本にきた韓国人は日本食の美味しさを本当に理解するのに3年必要だった、という体験談を聞いたことがある。砂糖、唐辛子、人口調味料など、日常的に刺激的な食べ物を摂取していると、ほのかな自然の旨味を感じ取る味覚が麻痺してしまう。

そもそもその爽快感を、物理的なエネルギーの大きさに例えるのが間違いかもしれない。例えば、深く感動して涙を流すきっかけに、必ずしも大きなエネルギーは必要ない。ふとした拍子に感動は沸き起こり、そして、風のように去っていく。

身体を巡る爽快感も、わずかな変化でありながら、大きく身体を震わせ、自然の懐の深さに感謝せずにはおれないこともある。
おそらく、日本人は元々この感覚に敏感な民族だったのだろう。だから、それを強く感じられるそこここに、お地蔵さんや社を祀ったはずだ。日本人は、戦後著しくその能力が退化したのかもしれない。

電気と身体の関係について言及する。解剖したカエルの脚に電流を流すと、ピクッピクッと死んだ脚が運動する。ならば、意識的な身体のリラックス感の調整(筋肉の緊張と弛緩の組み合わせとしての体系構築)が電気の流れをコントロールできないといえるだろうか。

Earthingの爽快感を体感したい場合、その感覚に敏感に響く身体を作っておかなければならない。といっても、凄い労力が必要なのではなく、その逆で、リラックスして、心を静める時間を日常により多く取り入れたり、上述の通り気の流れのよい環境に身を置くことが肝要だ。余暇に遊園地で騒ぐのとは逆である。つまり、スパイシーな料理ではなく、できるだけ薄味の日本食をゆっくり楽しむようにすればよい。

ヨガ、気功、禅などはやり方こそ異なるが、どれも同じ効果を得るメソッドだと理解している。中国武術もそうだ。
禅の場合、寝ている姿勢で行えば仰臥禅、座っていれば座禅、立っていれば立禅、動いていれば動禅である。中国武術で学ぶのは主に立禅と動禅だ。姿勢が重要であるが、目指す正しい姿勢は、そうしていると心地良いことが基準で、堅苦しく考える必要はない。

姿勢を正して!というと、ピッと背筋を伸ばし、長時間保つと疲れるものと理解されがちだ。程よく力を抜き、骨格で立つようにする。そうすると肩の力が抜け、自然と呼吸が腹に落ちる。そして、気持ちがリラックスすると全身の血流が良くなる。たったそれだけの違いで生まれるほのかな爽快感である。ギターもバイオリンも、大雑把にフレームの形を合わせて弦を張りさえるれば楽器となるわけではない。素材の硬さ、粘り、精密なデザイン、空洞、弦の張りり具合など、美しい音を響かせるには個々に周到なチューニングが必要だ。身体も同じように、自分の心地よさが響くように姿勢をチューニングしてあげればよい。

人は、よく考えて意識すると交感神経が高ぶる。目指すのは逆の状態。しかし、意識しなければ調整できない。そこがこの学習の難しさでもあり、楽しさでもある。つまり、あまり頑張らずに意識する習慣をつけるのがよいかもしれない。

武術の場合、戦闘状態という最もストレスの高まる状況で、この境地を掴もうと言うのだから、八卦掌、太極拳が武術なのか、ただの健康術なのか、誤解を招きやすいのも無理はない。

こうして整理すると、身体が感じ取る爽快感は、①外的環境と、②内的環境の両方を整える必要があるといえる。
この学問は、良い引導者さえいれば、場所や道具にお金をかけずに、生涯深めることができる。武術に限らず、自分に合ったものを一つ生活に取り入れられることを強くお勧めする。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/

バランスの矛盾

ジャズダンス

先日、妻の実家でのこと。
連日の葬儀で畏まる時間が長かったためか、長年ジャズダンスを学んできた姪っ子が、急に身体を動かしたくなったらしく、回し蹴りを披露してくれるという。※注記:写真はジャズダンスのイメージで、実際の姪ではありません。

どんな蹴りだろうと思ったら、とてもキレイな“後ろ踵落とし”だった。軸のぶれないスピン、スッと真上に振りあがる脚、さすが全国の舞台で受賞を重ねたダンサーである。

バランスが重要なのは、ダンスも武術も変わらない。武術の場合、自分がバランスを崩せば相手の小さい力で倒されてしまう。ダンスと武術の相違点については以前にも触れたことがある。「二つの渦巻き」もう一つ、ダンスと武術の違いの一つは、攻防の有無である。当たり前だが、ダンスには相手を想定した攻防の動作はない。

いい攻撃とは自分の重さを相手の身体に伝えることだ。つまり、パンチもキックも自分の重みを相手に預けるのだから、攻撃とはバランスを故意に崩す行為といえる。

武術は、矛盾を包含し超越することの積み重ねである。それも以前のブログ「指月~その3~」で触れた。武術には自身のバランスを崩さずに、かつ瞬時に重みを伝える技術がある。

姪っ子には、相手から攻撃の見えにくい“後ろ蹴り”と前方への“回し蹴り”のコツを伝えた。さすがはダンスで鍛錬した身体、伝えることをみるみる吸収して学んでしまう。(了)

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/
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