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冷たい手

~脳と心と手の関係~

「手が冷たい人は心が温かい」
というのは元はドイツのことわざで、
それは本来は物理的に手が冷えている
という意味ではなく、
子供を厳しくしつける親は
本当は優しい心を持っている、
という教育の話だとのこと。

これが本当だとすれば、
ここに翻訳の難しさを感じる。
直訳は正しいのだろう。
ただ、その含意は日本では正しく
広まっていなかったということになる。

私は始終手が暖かい方なので、
この話から冗談でよく、
「私は手がかなり暖かいので、
相当冷たい性格なんですよ」と言ったりした。

・・・・・・・・

中国武術で「冷手leng(2)shou(3)」というと、
素早い不意討ちの一打を意味する。
不意討ちというと卑怯に聞こえるかもしれないが、
ルールのない戦闘において、
“ひきょう”の線引きは甚だ曖昧だ。

まず、人はそれぞれ努力では覆せない
天性の運動能力の差がある。
だからスタートラインが平等ではない。
“やる”か“やられる”かの状況で、
膂力で圧倒的に優位な者に対して
“やられない”ために取る手段に
卑怯もへったくれもない、と私は思う。

卑怯な心はあっても、
卑怯な技というのは無いのではないか。

次に、格闘テクニックというのは、
突き詰めれば、如何に相手の不意を突くか
が要旨かもしれない。

例えばプロボクサーは、
私からすればみんな達人だ。
それで飯を食おうというのだから、
考えるよりも速く反応する身体を
すでに手に入れているだろう。

そのボクシングの達人同士が
リングで競うのがプロの試合だ。

普通に闘ったら、
勝敗はなかなか着かないかもしれない。
ビッグゲームともなれば、
ボクシングルールの中での対戦相手の
動きの癖などを事前に研究し、
その癖の動きに合わせて、
相手の意識が届きにくい空間を作り、
そこを攻撃できる流れに持ち込むための
瞬時の動作をいくつか組み合わせて
身体に叩き込んでおく。

これがコンビネーションで、
カタカナなので聞こえはいいかもしれないが、
その正体は“不意討ち”の
高度なテクニックといえるかもしれない。

一見すると舞踏のように優雅な
八卦掌の套路も、おおむねその攻防で
充満している。

・・・・・・・・

手と脳の関係については、
本ブログでも折にふれ書いている。

額から汗を流す運動を行っても
手だけは冷え切ったままということもある。

体内を気血が正しく巡ると
身体全身もふんわりと、
そして手のひらはかなり温かくなる。
人の体とは不思議なものだ。
八卦掌、とくに基本功の走圏では
この状態を目指す。

脳が身体の中でも大きなエネルギーを
必要とする器官である。
正常に機能するためには、
大量の酸素と糖分が必要だ。
つまりそれだけ血流が維持され
なければならない。

そんな大量な血を必要とする器官が
給水塔のタンクのように身体の天辺に
位置しているのだから、
心臓も大変だろう。

頭を使いすぎると
甘いものが食べたくなるというのも
理にかなっている。

瞑想やヨガのように
脳が安静状態に入ると、
血液を大量に脳に送る必要がなくなり、
それで手先などの末端にまで
血が巡りやすくなり、
手のひらも温かくなるのではないかと
推測している。

仕事から疲れてかえっても、
八卦掌の走圏を練ると、
頭がスッキリして疲れが取れる。
八卦掌の残忍な技の意味を知らない方が、
八卦掌は実戦的でない養生法だと
認識しているのは、
こういうところから来るのだろう。

屁理屈ではなく、
単純に心と技は切り離せない。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
ブログ  http://dahejin.blog68.fc2.com/
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