スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

形式と目的

何その格好…

練習風景

中国ではありきたりの武術の練習風景だ。
日本人的に「あれっ?」と感じるのは、
何でトレーニングウェア着てないの?という点だろう。
中国の武術の先生の多くは、
練習の時に普段着で参加しても何も思わないし、
特に失礼にはあたらない。
それに、写真のように先生自身が、
練習着でないことが多い。

・・・・・・・・

中国にいた時、仕事帰りに武術の先生に
少し挨拶にだけ立ち寄った時も、
“練習して行け”と声をかけられたものだった。

稽古をつけてもらうといっても、革靴にスーツ姿である。

それを言い訳に遠慮をすると、
“どんな格好でも、その時使えなかったら武術として役に立たない”
と返された。

さぁ、今闘うという状況に陥った時に、お前は、
“動きやすい靴と服に着替えるからちょっと待ってて”
とでも相手に言うのか?

・・・・・・・・

そういうわけで、私の知っている範囲においては、
中国武術の稽古のときに、日本の武道の稽古のように、
必ず裸足で道場に上がるとか、
必ず決まった道着を着るとか、
必ず稽古の前に入念に準備運動をするということはない。

実戦を想定すれば、外で靴を履いている確率が高いし、
まして、準備運動でウォームアップしている時間などないからだ。
一般的なスポーツと身体の使い方が違うということにも起因している。

無論、裸足や道着や準備運動の良さを否定しているわけではない。

・・・・・・・・

先週は、わざと道着を着用し、掴み、関節の決め、投げの複合を激しく行った。
生徒さんはボンボコ投げ回される。

道着を着るときわめて技が掛かりやすくなる。

日頃練っている套路の何気ない柔らかい動作が、
実は相当な力を秘めているという事実を体感するのには、うってつけだ。

道着の生地は厚く丈夫な上にたっぷりとゆとりがあり、
襟や袖もあるから、しっかりと掴んで瞬時に思いっきり力が加わっても
破けずにそのまま力が相手に働く。

逆に柔道や合気道で、道着を着ていないと技を掛けられない
というのでは、武術としての意味がないだろう。

普段着では、服は身体にフィットしている場合が多く、
摑むところは道着よりもかなり少ないし、
急に力を掛ければすぐに破けてしまうだろう。

始めのうちは柔道着を着てリングに上がっていた
グレイシー一家も、功成を極めるにつれ、
柔道着を着て戦うのはフェアではないという意見に合い、
ルールによっては、他の格闘家同様、
上半身裸にリングパンツ一枚に統一された。

道着が武器とみなされた例である。

八卦掌の場合、套路の中のひとつの動作が、
相手との距離により、関節技であったり、
逆に摑まれたところを解く動作になっていたり、
相手の意識を誘導するためのフェイントになったり、
そのまま相手を直接打撃する動きだったりと、
効果が多様で実によくできている。

前述のように、摑んでも、摑まれても
相当な力を相手に伝えることができるし、
接触していない距離でも、打撃の想定がされている。

八卦掌には直接にその練習はないが、
実戦であれば、これにon the groundが加わる。

・・・・・・・・

日頃靴を履いて稽古しているなら、たまに裸足で行うのも良い。
まるで感覚が異なるし、足の五指で“抓地”する感触をむしろ鍛えやすい。

形式よりも目的が先にある。

北京でも、時に練習場所を変え、根が張り、腐葉土で柔らかい木立の中で
八卦掌の走圏を練ることもあった。

雪の降る日には、雪の上で、
氷が張れば、氷の上で、
昔はそういう風に練習したもんだ、
と信老師は述懐されていた。

寒くなると余計、先生と過ごした
北京での冬の稽古が思い出される。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/
スポンサーサイト

コメント

非公開コメント

検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。