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ONE INCH PUNCH

one inch punch

"わずかしか動いてないが、出力は大きい"という言い方は、嘘ではないが少し違う。全体が統一された動きでは、逆に大きく動くことが困難だ。
リー先生のワンインチ・パンチとか、寸勁、果ては零勁とか、わずかで速い動作でパワーがでかいと、誇張され不思議がられたりするが、実際は逆。大きく動けないし、動作が小さいから速い。
例えば、自転車に乗ってペダルを18°位漕ぐ。1/20回転だ。しかし、数センチのそのわずかな動きに合わせて長いチェーンは全て動き、シャフトもスポークもタイヤも全部動く。この全体の動きは余り眼に映らないけど、果たして小さいと言えるか?という視点。両輪がきちんと地面に接していたなら、たった1/20回転のわずかなペダルの動きが、自転車と乗車する人の両方の重みを確実に数センチ移動させる。そして繰り返しとなるが、その力はチェーン、シャフト、スポーク、タイヤのどの部分でも同時に、自転車と人を数センチ動かす力を伝えることができる。そこを摑んでいる想像をしてみれば分かりやすいでしょう。点から伝わるこの力は大きい。それに、中国武術でも合気道でも全身が瞬時に武器になるというのは、不思議でもなんでもなく、ただ物理的なこうした現象のことであると認識している。
既成概念や習慣にとらわれず、身体に純粋に機械的動作をさせることができるようにするのが、伝統武術と言えると思います。

陳泮嶺中國伝統武術国際交流大会の一コマ

Chen Panling

前回のブログと話は前後しますが、去る3/24~28福岡県糸島市で陳泮嶺中國伝統武術国際交流大会が開催されました。私は、東京を中心に日本各地で陳泮嶺大師開祖の99式太極拳(雙邊太極拳)を教えられている遠山先生からお誘い頂きました。そのセミナーでのひとコマです。
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意拳第四代伝人/謝永廣老師との手合わせの様子。
これが意拳の力の出し方の特徴といえる。きちんと時間をかけて鍛錬しなければなかなかここまでできるようにならない。
站椿 (≒立禅)によりこの体の使い方を 習得する。実際に体感してみると老師の足元から一瞬で力が昇ってくるのがわかる。発する側は站椿により全身を一体化させることを学び、それを応用する。わずかしか動いていないが、全身の動作が連動しているので出力は大きい。
意拳以外の中国武術も全身を一体化させるという基礎は 同じと認識している。その後のコントロールの仕方、使い方が異なる。
もう10年ほど前か、北京市武協意拳研究會宗勛武館にお邪魔した時は、姚承栄老師やお弟子さんたちと手合わせをしてもらい、その後1週間くらい全身が痛むほどじっくりかわいがってもらった(笑)ことを思い出します。
謝永廣老師のような立派な継承者が登場し、きっと同門の誇りとなっていることでしょう。

※謝老師は第三代伝人/姚承光老師のもとで学ばれ、「意拳散手」、「意拳功法」、「意拳技法初探」、「意拳心法︰姚承光先生的意拳事業與武學思想」姚承光老師の武術理論の編著者として数々の発表と出版をされている。

達人登場

またも達人登場!?

先週は、意拳四代伝人/謝老師の動画をアップしましたが、今回の達人は…ナイショ、ではなく、最後に書きましょう。
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動画①「穿掌」
八卦掌の特徴である穿掌です。握り拳を作らず手のひらを開いたまま使います。通常、この開いた指先で喉、鼻、眼などの柔らかい急所を狙います。ですが、この動画の通り急所を外してもこれだけの力が相手に伝わります。腕は体から生えた棒のように道具として用いるので、腕の力はほとんど使ってません。特に一本目の穿掌は良く効いてますね。例えばですが、体のデカイ悪漢に行く手を阻まれたら、わざわざ的の小さい急所を狙って闘わなくとも、こんな風にサッと穿掌を決めてさっさと通り過ぎてしまえば、相手はあっけに取られて腹を立てることも忘れるかもしれません。
 この方の何気ない一撃で私の肩は内出血してます。“凄い!”と思われるかもしれませんが、55kgと75kgの二つの物体がわずかな面積を接点にぶつかれば、相当な摩擦力と運動エネルギーの伝導が生じるのは容易に想像がつきますね。皮膚は簡単に内出血してしまいます。

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動画②「意拳の発勁のまねごと」
 動画①の穿掌の接点を変えただけで、同じことをしています。腕と腕で組み合うと通常腕から力を伝えなければと意識するほどに相手の腕をガチガチに握り、腕力での押し合いになります。軽く摑み、小さな点で接することを意識するとこのように力が伝わります。この方は60歳代で身長差はご覧の通り。体重は私よりも20kgは軽いです。※前回の謝老師のような熟達洗練された勁と圧力には遠く及びませんので、あくまで、“まねごと”です。

動画①も②も武術の基本である「立ち」と重心移動(歩法)の実用です。まだ八卦掌の特徴である旋回する歩法(重心移動)も使ってません。しかし、先日の陳泮嶺国際武術交流会で遠山先生が示されたように、立ったり歩いたりという日常の動作を再認識して、意識的に使い分けるというのが武術の訓練の基礎です。実はこのような動画の体の使い方は、多くの方が「できるわけがない」と錯覚しているために“できない”だけです。一対の人形やロボットを手にして相撲をとらせるように、まずは身体も人形と同じく単なる数十kgの物体であることを認識できれば、身体の使い方を変えることができます。
これは、身体を酷使した精神の訓練ではなく、身体を用いた意識の切り替えの訓練です。そして、こうした疲れず効率のよい身体の使い方は日常の動作に応用できます。庖丁で食品を切る時も、大根をすり下ろすのにも使えますよ(笑)。対象物は小さいですが、身体と意識の使い方は同じです。

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動画③「身法を用いた打ち」
 身法にも色々あるでしょうが、ここでは体全体の伸縮法を指します。(これは動画ではなかなか判別しにくいかもしれません。この身法の修得にはちょっと時間を要します。)一打目が自然でいい感じです。二打目、三打目と緊張が増して威力が減少し、インターバルを置いて、四打目にはまた良い打ちに戻っています。ここでも腕力は余り用いません。腕は目的の場所へまっすぐ伸びますが、身法により身体が僅かに膨張しているため軌道は直線ではなくなります。そのことにより、攻撃を受けた私の身体は若干上方に浮き上がる力が加わっています。
私の体の動きをご覧の通り、ヤラセ(わざと後ろにふっ飛ぶ)ではありません。私の受けの立ち方から攻撃を受ける直前まで前足に重心が乗っているのが分かります。当たった瞬間に全く防ぎようがありません。実は、これだけ相手が吹っ飛ぶのに、攻め手の方も力感覚が小さいのです。

 もうお分かりかもしれませんが、この動画で攻め手を務められたのは、私の生徒さんです。年齢は60代、私の所に通われてもう少しで2年になります。「軽く相手が吹っ飛ぶ技」を身につけるのは多くの男性(特に格闘好きの男性)の夢で、そうした達人動画が世の中には溢れてます。ですが、実際はこうした体の使い方は武術の入り口に過ぎません。これがでることと、実戦で強いのとはイコールではありません。
 しかし、覚えの悪かった私は習い始めて10年くらい経った頃にようやくこうした身体の使い方ができるようになりました。帰国してからは、私が学んだことを分かりやすく日本語で教えています。人を傷付けない気持ちの優しい人なら喜んで伝授します(笑)。

立ち方

八卦掌の生徒さんが立ち方を修得された。私がミットで打ってもびくともしない。受けがずっしりと重く、ミットを打つこちらの方がつらいくらいだ。

生徒さんは、瞬時に修得されたこの技術に(といっても“立つ”だけだけど…)眼を丸くされていた。何が起こったのか頭がついてこないのでしょう。ただ、このただ“立つ”ことができるようになると、ほとんど積極的に動いているように見えないただの“受け”の動作が、同時に攻撃でもあることを理解できるようになる。攻防一体というのは小手先のテクニックでなく、また嘘ではない。

教室を開いた時、この立ち方の修得は大切だと思ったので、積極的にミット打ちを取り入れたが、効果が上がらず最近はやっていなかった。この生徒さんは通われて一年以上が経つ。ふと、「久しぶりにやってみるか」と思い、簡単にコツを説明しながらミットを受けてもらった。一年前にできなかったことを瞬く間に修得された。それは、生徒さんの日頃の努力の賜物で体全体を上手く使えるようになったからスッと修得できたのかもしれないし、私が教えさせて頂くという機会を得て、教え方が上達したのかもしれないし、また、相互作用かもしれない。いずれにしても、ご自身で修得された技術に驚かれる姿というのは何度見てもいいもので、この瞬間のために教える場を持ってよかったと実感できる。

で、いったいその“立ち方”って何なの?と思われた方、過去ブログをご参照ください。
http://dahejin.blog68.fc2.com/blog-entry-42.html

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/

素手と武器

最近の稽古では鞭杆(ベンガン)を取り入れている。鞭(むち)と書くだけあって材質は堅さに粘りを含んでいる。短くて携帯しやすいし、槍、杖、刀に見立てることもでき便利な道具だ。

取り入れてみようと考えたきっかけは、生徒さんに素手の感覚を客観的に摑んでもらうのに適当だと思えたからだ。素手も武器も習う武術では、多くの場合先に素手の稽古を積み、発展形として武器を学ぶ。一方、古来武術は武器術から生まれ、その発展形として素手の武術が編み出されたという説がある。

手っ取り早く敵を倒す、或いは殺すためには、岩でも棒っきれでも何でも武器を摑むだけで、人の殺傷能力は数段に上がる。だから、国を守る、あるいは敵国を滅ぼすことが目的で軍隊を設けたなら、そこで最初に専門的に編み出されたものは武器術であったろうというのが、その説の根拠の一つだ。日本では、戦のない太平の江戸時代になって居合という精妙な術が生まれたように、素手の精妙な武術も武器術の後から生まれたのではないだろうかというわけだ。

“武器を身体の一部として使う”という表現があるが、これは間違いであると仰ったのが親しくさせて頂いているM先生だ。“武器が身体の一部なのではなく、身体を道具(武器)として使うことができると、武器も使えるようになるのだ”と。当時、その言葉をきいてなるほどと思った。腕の力を使わずに相手に力を伝え制する、という手品でもなんでもない物理的な現象を自分の身体で再現できないひとがほとんどなのだが、その紙一重の違いをこの言葉は端的に表している。この違いを体得していれば、素手であろうが武器を持っていようが、身体の使い方の基本は変わらない。

棒には筋肉がないわけで、棒自体が力を発することはない。だから、生徒さんに棒で力の伝え方を体感して頂いている。かなり楽しいようである。よかった。

福岡八卦掌教室 指導員/大和晋(やまと しん)
HP http://baguazhang.web.fc2.com/
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